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ハシワタリ

更新日:2018年9月18日

神隠しに遭う治罪法が書きたくて勢いだけで突っ走りました。


――此岸と彼岸。刑法だけぽつんと取り残された感覚。先に行ってしまったのはどちらだったのか。

 

あんなに振り向いたらいけないと言ったのに。彼は先に駆け出したかと思うとこちらを振り返り、気が付いたら目の前から姿を消してしまった。


然るべき所へ連絡しなければならないと思ったが、した所で無駄に終わる予感もあった。

――ばいばい。

僕の耳元で確かに相棒はそう言った。


慌てて相棒が居なくなったと仕事先に駆け込むと「治罪法なら廃止になったじゃないですか」と平然と言われて思考が止まった。

一体何の話をしているんだ?


憲法が生まれるという話は聞いていた。でも、相棒に弟ができるなんて今までちっとも知らなかった。体制が大きく変わるのだから流石にそのままでは済まないとは思っていたが、まさか廃止だなんて。しかも僕をそのままにして……――いや、違う。もしかして、神隠しにあったのは僕の方なのではないか。みんな新しくなったのに僕だけ取り残されたと考えた方が自然であるように思う。


相棒と僕は一心同体だった。わずか数年で用済みになってしまう虚しさよりも、彼と離ればなれになる苦しさの方がずっとずっと上だった。生まれるときも一緒だったのだから、死ぬときも一緒だと、そう信じて笑っていたのに。どうして、いやだ、彼が一人になったら彼は、僕は――。


刑事訴訟法は優しかった。相棒と僕の生まれをちゃんと理解していて、仕事もよく頑張ってくれていた。

それでも何となく気まずくて、注意力が散漫になることもしばしばだった。周囲に呆れられるほど楽観的な質に自覚はあるが、そんな僕ですら自分が嫌になりそうなくらいに。


「君は? 君も相棒から生まれたんだろう? ならあの子を知らないなんて言わせないよ」

仕事のない日に、僕は背の高いある人と喫茶店に入った。

「ええ、確かに私は彼から分離独立しましたし、勿論知っています。けれどその彼が、貴方に弟の話を全くしていなかったとは……よほどあなたのことが大切だったのでしょう」

コーヒーにミルクを注いでかき混ぜながら、向かいの彼――裁判所構成法――の話をぼんやり聞いていた。いつもはブラックのまま飲むのに、どうしてか今日は砂糖もミルクも入れずにはいられなかった。

「相棒が神隠しにあったというのは勘違いで、実は僕がいるのが神隠しにあった後の世界ということはない?」

「……仮にそうだったとして、その世界の住人である私にはそれを証明することができないのですが」

「それもそうだ」


確かに僕には兄が三人いる……いることは知っているが、実は顔はよく知らない。会ったことがないのだ。やはり治罪法には二度と会えないのだろうか。これはひたすら現実を見ない振りし続けていた罰なのだろうか。募る不安はどうにもならなかった。




あれほど鬱陶しかった暑さが懐かしくなってくる頃、近くでお祭りをやると聞いた僕は暇潰しに寄ってみることにした。


人混みの中を歩いていると今でも、不意に相棒の姿を見掛けるんじゃないかと辺りを見回してしまう。相棒はあまり出掛けてはしゃぐタイプではなかったが、僕があちこち連れ回すのについて来ながら何だかんだで楽しんでいた。

綿飴、たこ焼き、リンゴ飴――立ち並ぶ屋台の間を特にあてもなく歩いていく。


途中で大通りから外れた場所のベンチに腰を下ろして一休みすることにした。

タイミングよく上がり始めた花火を眺めながら、少し経って自分の気付かないうちにすぐ隣に人の気配があった。半ばぎょっとして振り向くと果たして治罪法が座っていたのだ。


「……えっ、相棒!」

思わず彼の肩を両手で掴んだ。いや、掴めたといった方が正しいかもしれない。少なくとも幻覚ではないと分かって胸をなで下ろす。

相棒は着流しが笑っちゃうほどよく似合っていて(僕とは正反対だ)、心なしかどこか大人びたようにも見えた。言いたいことがたくさんあって、立ち上がって言葉を重ねそうになるのを、相棒はゆっくり首を振って制止した。


彼が説明してくれたことには、仮刑律も綱領も律例もちゃんと向こうの世界にいて、ただ今世の中の仕組みが変わろうとしてごたごたしているところだから顔を出さないようにしているんだとか。

「……本当は分かってたんだ。お別れしなきゃいけないって」

そうか、と彼は頷く。そこには何の感情も見えない。

「小さな裁判所構成法――あのときはまだ法律じゃなかったけど――を相棒がうちに連れてきたとき、面倒は見るくせに敢えて距離をおこうとしている節があってずっと気になっていた」

「うん」

「君が、何も、言わないから」

あの子に君を連れ出してくれた治罪法について何か知らないかと尋ねてみたとき、彼も知らないと困惑していた。ただうっすらと勘づいていることを教えてくれて、自分の考えが間違っていないことを知って頭を抱えたのだ。

――いっそ、気付かないまま過ごせたらどんなに楽だったか。



「……そろそろ時間だ」

不意に相棒は僕の手を掴んで歩き出した。

昼間には人が溢れる駅前を横切り、線路をまたいで、目の前にはやはりというべきか大きな鳥居が堂々と構えている。前に観光した所とは違う神社だ。


相棒は僕を真っ直ぐ見たまま何か考えているようだった。口を動かしかけて、すぐ諦めたようにこちらに背を向けてしまう。

「……また来るから」

そのまま鳥居の向こうに足を踏み出した瞬間、別世界に溶けるかのようにいなくなった。

あっけないといえばあっけないが、相棒らしいことに違いはない。詳しい事情も仕組みもよく分からないが、二度と会えなくなってしまった訳ではないというだけで僕には充分だった。


残暑を惜しむ蝉の鳴き声だけが僕らを見守っていた。



 

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