「邂逅」の別ver。
こちらは法ロジベースで大審院がいるイメージ。大審院と同じ世界の構成法に出会うのはこれを書いてから約一年後のことでした。
気晴らしに大審院が部屋を出て歩いていると、辺りを見回しながらうろうろしている見知らぬ子供が視界に入った。
「おや?」
何やら廊下を行ったり戻ったりを繰り返しては肩を落としている。見かねて子供のいる方へ向かうと、足音に気が付いたのかはっと振り返って軽く頭を下げた。律儀な子のようだが不安そうな様子は隠し切れず、大人びた中に垣間見える見た目相応の幼さが微笑ましい。背丈はおおよそ大審院の腰くらいだろうか、法服を基調にしたような裾の長い服を身に着けていた。
誰だろうかと心当たりを探っていると、こちらを見上げるその子の特徴的な糸目と視線が合う。
「どうした、こんな所で。名前は?」
ぴくりと子供の肩が上がる。視線を彷徨わせた後、やや俯いて恐る恐る答えた。
「わたしは……その、名前はまだ、ないといいますか」
「ふむ」
「……気付いたらここにいました。前にいたところでもいろいろな人を見てきたのですが、結局自分がなんなのかもよく分からず」
話を聞きながら大審院はうんうんと頷く。てっきり咎められるとでも思っていたのか、相手の自信の無い細い声がだんだんと穏やかなものになっていった。
「私は大審院と云う。ここが裁判所なのは分かるか? 簡単にいえばここの主といったところだが……もう少し話を聞けば、御前について何か分かるかもしれない」
「ほんとうですか」
「廊下でずっと話をするのも何だ、場所を変えようか。おいで」
大審院は手招きをすると応接間のような部屋に案内した。彼は先にソファに座り、空いている隣をぽんぽんと叩くと子供もそこに腰掛けた。足は床に届くか届かないかというところで浮いている。体が強張っている様子はなく、初めの緊張感はどこかへ行ってしまったようだ。
「あなたを見てふしぎな感じがしました。初めて会ったのに、初めてではないような……ここにくるまで不安だった気持ちが、すっと解けていったようで」
「そうか。……憶測にすぎないが、やはりどうも裁判所に関係する法のように見える。大人になった時には私も世話になるかもしれないな」
子供はほうと息を吐いた。
「あなたと話しているとどこか落ち着くというか、安心するんです。だからこれからもご一緒できるなら、とても心強いです」
「それは有難い」
大審院は柔らかい眼差しで子供の頭を撫でた。
「そうだ、治罪法には会ったか? 背の高くて黒髪の、青い服を着た男だ」
「青い服……たぶん、見ていないと思います」
「そうか。刑事手続について定めた法でな、できれば彼にも意見を聞きたいと思うのだが――」
不意に扉を叩く音が鳴る。返事をすると、噂をして影がさしたとばかりに治罪法が顔を出した。
「……何と時機の良い」
「失礼。また後で出直そう」
即座に顔を引っ込めようとしたのを大審院が呼び止めた。
「待て、丁度貴君の話をしていたところだ。急用でなければ暫し付き合ってはくれないか」
「僕の話? 何故……」
そう言って、治罪法は大審院の隣にいる人物に視線をずらす。
「あなたが治罪法ですね」
「ああ。君は……法案?」
彼の問いには大審院が代わりに答えた。
「いや。先だって会ったばかりだが、法案にしては自分をよく分かっていないようでな。名前も分からないそうだ」
「成程」
「気が付いたらここにいて、私と此処にいるとどこか安心すると言う。裁判所に関係する内容を持つのではないかと思うのだが」
彼は向かいのソファに座ると子供をじっと見つめ、少しの間考え込んでからゆっくりと頷いた。
「……そうか。確かに、もう長くないと思ってはいたが」
彼の言葉が理解できず、きょとんとしている子供をよそに大審院は先を促す。
「貴君は彼をどう思う」
「……法になるだろうという『認識』が具現化したようなものか」
「認識、というと」
やはりそうかと呟く大審院の横で、子供が首を傾げている。
「要するに、既に刑事手続と共に定めている裁判所の構成に関する項目が独立して、単独の法になるのだろうということだ」
「それがわたし……」
「治罪法がそう思うのならば、まあ間違いはあるまい」
まだ時間はかかりそうだけれどと付け足す彼を、子供は小さな目でじっと見つめていた。
やがて、窓から西日が差し込むのを見て治罪法は立ち上がる。
「ではそろそろ、僕はこれで」
「引き留めて悪かった、有難う。刑法にもよろしく頼む」
踵を返しかけた彼に、まってくださいと子供の声が掛かった。
「大審院から、あなたは刑事手続に関する法だとききました。つまり、わたしはあなたから分離して生まれるのではありませんか」
「……」
「法律として施行されたときには、よろしくおねがいします」
治罪法はその言葉に一瞬たじろいだが、すぐいつもの表情に戻っていた。
「……こちらこそ」
そう短く応え、足早に去っていくのを見送ってから、大審院は大きく伸びをした。
「さて、お陰でおおよそのことは見当がついた。御前さえ良ければ、今日からいっそ此処で暮らすというのはどうだ」
「……いいのですか?」
「法案がうちに泊まりに来るのは珍しくないし、部屋も余っている。住む場所を決めてしまえば、宛もなく彷徨うこともなくなるだろう」
思わぬ提案に身を乗り出した彼には、小さな花が咲くような笑みが浮かんでいた。
「はい、よろこんで」
了
後日、私は改めて治罪法の部屋を訪れた。突然の来訪者を視認するなり微かに表情を強張らせる彼を見ると、私が何の話をするつもりなのか心当たりでもあるらしい。
「先日の件だが」
「はい」
「『もう自分も長くないと思ってはいたけれど』、と言ったな」
眉を寄せて、語気を僅かに強める。治罪法は気付かないふりをするように視線を外へ流した。
「未だ分からんだろう。分化は避けられないとしても、だからといって廃止が決まった訳では」
説得を試みても、黒い瞳は何の感情も映さない。考えていることが分かりにくいのはいつものことで、指摘すると貴方こそと返されるのもまた常だが、それでもこういう時の彼を見ているとつくづく思わずにはいられない。
「そこまでしておいて他に手を入れないはずがない。改正で済むとも到底思えない」
「……」
「願わくは……相方と共にここを去れたら、僕はそれで」
そう言って背を向ける相手にかけられる言葉を私は持たなかった。
Comments