お酒に酔った庾信がかわいいという話を今まで性懲りもなく続けてきたわけですが、賜酒を蒙る詩についてのある論文を読んで、なるほどそういうことだったのかと目から鱗が落ちる思いがしました。 その一方で韜晦云々のくだりがどうにも腑に落ちずどうしてもやもやするのかもよく分からないまま悶々としていたのですが、「哀江南賦」諸々が晩年の作であるという前提の話なのかなと。私は今のところ北朝に来て間もない頃の作品だと思っているので、その文脈で捉え直すとまた違うものが見えてきたり…しないかな……
(自分用メモ)
「奉報趙王恵酒」
①梁王の修竹園=梁朝、桃花源=北朝(沼口、矢嶋) ②梁王=趙王、桃花源=自宅(興膳、森野、原田) ③趙王の招待で開かれた園遊会の様子を詠んだもの(加藤)
彼の桃花源の用例はいくつかあって気になっているところ。この場合は「小園賦」「帰田詩」なんかがあるのを見ても自宅を指すのが一番自然じゃないかなあとぼんやり。
「正旦蒙趙王賚酒」
①欒巴=趙王=蜀使(加藤、森野)
②欒巴=庾信、蜀使=成都からの使い(矢嶋)
③欒巴=庾信=蜀使 http://www.hxvos.com/783/2013-02/27/cms728005article.shtml
超個人的には庾信自身を欒巴に喩えていたら楽しいのになあと(前に話題にした山簡みたいに)思うけど、最早ただの好みの問題w ③はいやそれは無いだろうと思いつつたまたま見つけたので一応。親しいからこそ言えることというのもあるけど、それにしたって露骨すぎやしないかと。
沼口勝「庾信の詩と「桃花源」」1969 矢嶋美都子「庾信の「蒙賜酒」について」1982 興膳宏『庾信』1983 加藤国安『越境する庾信』2004 森野繁夫『庾子山詩集』2006 原田直枝「六朝末の詩文に見える「桃花源」の語をめぐって」2008
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