なぜ荊軻と庾信かって、どちらも自分が好きだから以外の何物でもないわけですが、ざっと探して故事を引いている例をメモしてきたのをここにも載せてみます。
『史記』刺客列伝に見える荊軻の故事は、高校の授業で読んで私が漢文に興味を持つきっかけになったので特に思い出深いんですよね。自分が好きな人が好きな人に関する事柄を典故にしているのを発見すると、楽しさも二倍で得した気分になると同時に、何というかしみじみしてきます。彼(に限った話ではありませんが)の時代にまでちゃんと伝わっていたんだなあというか、本当に手に取って読んでいたんだなあというか。
「擬詠懐」其三 燕客思遼水 燕客 遼水を思う
※遼水=易水 のようです
「擬詠懐」其十
荊卿不復還 荊卿 復た還らず
「擬詠懐」其二十六
寒水送荊軻 寒水 荊軻を送る
「将命使北始渡瓜歩江」
雖同燕市泣 同に燕市で泣くと雖も
「小園賦」
荊軻有寒水之悲 荊軻 寒水の悲しみ有り
「哀江南賦」序
壮士不還 寒風蕭瑟 壮士還らず 寒風蕭瑟たり
庾信は北朝に渡った後は特に、重大な使命を負って敵地に乗り込んでいく荊軻を思い浮かべて思う所があったでしょう。本人の思い通りに事が進まず、暗殺に失敗して殺された荊軻と、祖国を守ろうと奔走しながらも上手くいかず、北周と祖国の禅譲を受けた陳の間で和解が成立してからも帰ることが許されなかった自分と。
今回は取り敢えず該当箇所をメモしただけだったので全体の文脈は無視していますし、すべて読んでいる訳でもなくて内容について深入りできないのですが少しだけ。「擬詠懐」などは読んでいるこちらが一周まわって興奮(!)してくるくらいに、自分自身と深く向き合って、奥底に沈んでいるものを容赦なく抉り出しているイメージがあるんですよ。そういうのと重ねて見てみるとまた楽しいなと思った次第です。
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